父が脳梗塞で倒れてから約10ヶ月、僕の生活は父の介護のみでした。
働くこともできませんでした。
勉強も満足にできませんでした。
遊びに出ることもできませんでした。
この10ヶ月、ちゃんと会話した人の数をざっと数えてみたけど10人もいないです。5分ほどの会話も含めればもう少しいるかもしれませんが。
日々のよろこびは、父が少しずつ体力を取り戻し元気になっていく姿のみでした。
お医者さんや看護師さん、リハビリの先生みなさんに「劇的に良くなったね!」と言ってもらえる。そのことに自分が貢献できたことに関しては全く後悔してないし、これからも支えていくつもりです。
でも、そろそろ外を見ないといけないと思い始めました。
自宅介護にのまれてる自分
今年に入ってもう4ヶ月が経ちました。
日々の介護は大変で、一日をこなすだけで結構ヘトヘトになります。介護ってやってみないとわからない大変さがあるのだと、自分で経験して初めてわかりました。
僕は全国で介護をしている人たちを例外なく尊敬します。
でも、大変だからこそ流されるように介護だけをしてしまう日々。
それ以外のことや自分の将来のことに目が向かない日々がこの10ヶ月続いてきたのです。
思い出した言葉
父が倒れて実家に戻らなければならなくなった時、お世話になった社会経験の豊富な方が僕にかけてくれた言葉を思い出しました。
それは残酷にして、本当に僕のことを心配してくれてる優しさのある言葉でした。
「どうしても実家にもどるというなら仕方ない。でも、お前がここでお父さんの面倒を一生懸命みたとしても、将来お前の兄弟はお前を助けてはくれないぞ。
お父さんよりもお前の人生のほうがずっと長いんだぞ!それだけは覚えておけよ。」
本当だった
そう言葉をかけられて、でもあの時は僕が実家に戻るしか方法が見つけられませんでした。
怖かったけど、でも兄弟三人(姉、兄、僕)がいればなんとかなると思っていました。
父がICUにいるときは誰かが常についてられるようにしました。
兄弟で交代しながらついていました。
病棟に移っても毎日毎晩病室に泊まり込みました。
だんだん兄弟は顔を見せなくなってきました。でも感謝やねぎらいの言葉をくれていたので頑張りました。
退院して家に帰った時に段差でつまずいたりしないよう、家の中を全面的に整理しなおしました。
全部一人でしました。
退院日には父と僕だけでした。
今、父と僕二人で生活しています。兄弟は電話はたまにしてきますが、正月以来顔をみていません。
でもそれは仕方のないことかもしれないです。
姉にも兄にも自分の生活があります。目の前のことに忙殺されてきっと父のことにまで気がまわらないのでしょう。
僕がそばについているということで安心もしているのかもしれません。
家族は信頼してもあてにはしない
遠くに住んでいる家族は無責任にいろいろな提案をしてきます。
文句ばかり言うわりには介護の助けになることはほとんどしてくれません。
正直むかつくこともあります。
でもね、僕が逆の立場だったらきっと同じようにしていたと思います。だって心配ですもん。
なにもできないけど、なにもできないからこそ、せめて口だけは出しとこうと思うんじゃないでしょうか。
姉も兄も大事な家族です。信頼してもよい。でもあてにしては駄目だと思います。
様々な葛藤の後にこう思えた時、何だか心がすっと軽くなりました。
自宅介護をしている方へ
日々大変だと思います。
手伝ってくれない家族への不満もあると思います。
でも介護だけに飲まれないでください。
自宅介護を始めてから、いろんな自分を犠牲にしてきましたよね。
昔は
- 職場や学校での自分
- 昔なじみの友達の前での自分
- 恋人の前での自分
- 趣味に没頭する自分
- 将来の夢へむかう自分
あなたにはたくさんの自分がいたはず。
でも気がついてみれば、「介護をする自分」しか残っていない人もいるんじゃないかな。なにより僕がそうです。
悲しいことですが、あなたが介護をしている人は高い確率であなたより先に死にます。
その時に「介護をする自分」しか残っていなかったら、あなたは全ての自分を失います。
なにも今の介護をおろそかにしろとか、介護をしている人を見捨てろって言ってるわけじゃない。
だって僕たちは見捨てられないからこそ、こんなに一生懸命に介護をしてるんですもん。
でもね、介護の合間で少しずつ昔なくした自分を取り戻していきませんか?
新しい自分を作っていきませんか?
僕はとりあえず、「ブログの自分」を取り戻していこうと思います。
他にも「将来の夢をみる自分」や「新たに働く自分」も作っていくつもりです。
あなたも僕と一緒に「介護をする自分」以外の自分を見つけていきましょう。
どうか自宅介護だけに飲まれないで。
僕は自宅介護を頑張るあなたを尊敬します。