てげろぐ

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自宅介護は突然。脳梗塞で入院になるとどうなるか。1人で悩まないですむ制度はできている。コミュニケーションは最低限の備え

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自宅介護は突然やってきました。

ある日の昼休みのことでした。スマホに父からの着信。父は電話で「なんだか調子がおかしい、身体を起こしてられない。姿勢を維持してられない。」とろれつの回らない喋りで僕に告げました。

日頃から「何かあったら意識を失う前に俺に電話だけしてね 笑」と冗談交じりで話していたのだが、父はその約束を守ってくれました。

すぐに自宅に救急車を手配し、僕も急いで配送先の病院へ走りました。

 

脳梗塞でした

入院してそのままベッド上での安静になりました。トイレすら1人で行ってはいけないとの指示です。そこでCT検査を含むいろいろな検査をしました。

父に症状を聞いてまさかと思っていましたが、検査の結果は残念ながら予想通りの脳梗塞でした。

脳梗塞は時間との勝負と聞きます。とにかく早い処置をしなければなりません。

そのため病院の先生やスタッフの方が一生懸命尽くしてくださいました。

 

鎮静剤を投与することに

脳梗塞とは簡単に言えば脳の血管の一部が血栓で詰まってしまう病気です。詰まってしまった血管の先には血液が流れません。そのせいで、その一帯の脳が栄養を受け取ることができず、やがて機能しなくなります。

脳梗塞になってすぐの処置はほぼ決まっていて、大雑把に言うと

  • 安静にしておく
  • 血栓を溶かす薬を投与する
  • 血栓をそれ以上作らないようにする薬を投与する

だそうです。

しかし、この時の父は「安静にしておく」ということができませんでした。何かにつけイライラしてしまい、ベッドの上から日に何度も降りようとしました。血圧も安定せずベッド上安静が事実上不可能な状態でした。

先生との話し合いの結果、鎮静剤を投与して症状が落ち着くまでいわゆる「眠っている」状態にしてもらうことになりました。そこから一週間くらい父はベッドの上で眠って過ごしました。

 

自発呼吸が止まる

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昼ごはんを食べているときでした。

病院から「状態が急変した、すぐに来て欲しい」と電話が入りました。病院に到着すると担当医と何人ものスタッフが父を囲んで処置をしていました。

その中で担当医の先生から説明がありました。突然呼吸が止まった。今は人工呼吸器でなんとか維持しているが、このままでは危ない。明日までもたないかもしれない。

一体何を言っているの?

明日までもたない?

父の兄弟や親交のある人に連絡をとり、その日はとにかく全員で父の回復を祈りました。そこから数日はどうすごしていたかよく覚えていません。

なんとか持ちこたえた

皆の祈りが届いたのか先生方の処置のおかげか少しずつ自発呼吸が戻ってきました。

つながれたモニターをみると規則的な呼吸器の呼吸の中に、だんだんと自発呼吸が入るようになってきました。

担当医の先生の顔にも余裕がみられるようになり、「ああ、なんとか助かったんだな」と思いました。

そこからさらに数日、完全に自発呼吸が戻り人工呼吸器を外す日が来ました。

 

目覚めた父

この頃には入院してひと月ほど経っていました。

この後の再検査でわかるのですが、入院時よりも梗塞部位は広がっていました。右脳、前頭部と脳幹部にも少し梗塞があると説明を受けました。

脳幹部の梗塞のせいで自発呼吸が止まった可能性があり、右脳と前頭部に関しては後遺症が出るかもしれないとのことでした。

右脳

左半身の動きや感覚は右脳が司っているそうです。

そのせいで左半身に麻痺が残りました。あと、左側の半側空間無視という症状も後に判明しました。これは自分の左側のものが見えてはいるが、それを脳が認識していないという状態だそうです。なので、歩くとよく左側をぶつけます。

前頭部

理性や抑制を司るところです。

ここが機能しなくなると簡単に言えば怒りっぽくなります。そして思い立ったことはすぐに実行にうつさないとソワソワしてしまいます。

脳幹部

生命活動に関わる部分です。

ここの梗塞のせいで呼吸が止まった可能性があるそうです。

退院した今は素人目では言動に影響がでているようには見えません。ですが、命に直結する部位でもあるので、どこよりも注意しなければならないのでしょう。

 

脳梗塞は治るのか・どう治療していくのか

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ハッキリ言われました。治るものではありません。

脳梗塞自体が現状より良くなることはなく、現状維持かもしくは悪くなるかのどちらかだそうです。(後遺症の麻痺や体の動きはリハビリで退院までには少し改善していました。)

治療としてはわかった症状にその都度対処していくという形になります。なので、入院中にどういう後遺症がでているかを特定していく作業が必要になります。これはリハビリをしながら同時進行的に症状を確認していきました。

入院中は何度か看護師長・相談員(ソーシャルワーカー)・理学療法士作業療法士言語聴覚士の方との面談が行われました。その場で家族が不安に思っていることを聞いてくれたり、専門家の目から見た父の現状の説明をしてくれたりしました。

この面談の中で聞いた父の後遺症は

  • 病態失認(自分の病状を理解・納得していない)
  • 身体失認(左半身の腕や足などの位置や動きを認識していない)
  • 注意障害(注意力が続かない。すぐに別のものに注意がうつる)
  • 半側空間無視(左側のモノを見えてはいるが脳が認識していない)

というものでした。これらは全てひっくるめて「高次脳機能障害」という症状に含まれるそうです。

それぞれの専門的なスタッフさんが何を担当してくださったのか以下に記していきたいと思います。

相談員(ソーシャルワーカー

病院の中では「相談員」という名称で呼ばれることが多いそうです。

基本的になんでも相談にのってくれますが、主にこれからの入院生活や退院後に利用できる公的制度を教えてくれました。

要介護認定の手続きや介護保険の話などなんでも相談にのってくれますし、市役所に手続きに行く際には相談員さんが事前に市役所と話をしてくれます。おかげで市役所に行ったときにはスムーズに話をすすめることができました。

ちなみに父は入院中に要介護3の認定を受けました。

理学療法士

歩く・座る・立つなどの基本的な運動機能の回復を目的としたリハビリをします。

覚えている範囲で申し訳ありませんが、行ったリハビリを時系列で並べると

  1. 関節の動きに問題が無いかをみる。(膝や肘の関節から、指の関節までいろいろな所を調べていました。)
  2. ベッドに座った状態で大きな血圧変化がないかをみる
  3. 車椅子に座った状態で大きな血圧変化がないかをみる(車椅子で移動できるようにならないと、リハビリ室に行って本格的なリハビリが始められない)
  4. 車椅子に15分ほど座っていても身体的・精神的に安定できるかをみる(リハビリ室では多くの人がいるため、待ち時間もでてくる。それを待てるようにならないとリハビリを始められない)
  5. リハビリ室で歩行訓練を開始
  6. リハビリ室で杖を使って歩けるようにする
  7. 外や院内の人が多いところで杖を使って歩けるようにする

といったことをしました。

作業療法士

基本的な生活動作を行えるようにしていく。

素人からすると理学療法士作業療法士のしていることの違いが最初はよくわかりませんでした。聞いてみると「同じようなリハビリをしていても、それぞれの見ているところやアプローチが違う」とのことでした。

父がリハビリ室に行けるようになってからは、主に麻痺が残ってしまった左手を使って細かい作業をするリハビリを担当していただきました。

言語聴覚士

序盤は口の中の清掃と嚥下リハビリ(飲み込みのこと)、今は高次脳機能障害のリハビリもしてくれています。

CMでもよく流れていますが、肺炎は死因第三位です。その肺炎の原因に口の中が不衛生であることと、嚥下能力の低下による誤嚥(飲み込んだものが誤って気管や肺に入ること)があります。

父は左半側の麻痺がでましたが、それは口の中も例外ではなく、左半分が上手く使えません。具体的には口の左側から食べ物が漏れたり、食後に口の中をみると食べ物が左側にたまったりしていました。(今はリハビリのおかげと本人の注意でそういうことはほとんどなくなりました)

飲み込みについても最初はゼリーやとろみのついたお茶からリハビリをはじめました。そこからだんだん形のあるものへと食事内容が変わっていき、退院前には普通の病院食を食べられるようになっていました。

 

入院から2ヶ月で退院

最初は少なくとも半年は入院しながらリハビリだと言われていました。しかし、父が積極的にリハビリを頑張ったのと、先生の想像を超えた回復により入院から2ヶ月で退院することができました。

なにからなにまで怒涛の2ヶ月間でした。

直面する全てが初めてのことで、市役所での手続きや家の準備をするのに必死でした。きっと他の方も同じような苦労を経て自宅介護にこぎつけたのだと思います。この大変さはやった人間にしかわかりません。

 

助けてくれる人達がいる

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しかし、同時に助けてくれた人はたくさんいました。上記の相談員さん(ソーシャルワーカー)やリハビリの先生たちです。

こういう時は素直に人に助けを求めるのが一番楽で確実なのだと思います。自分が想像していた以上に親身になってくれました。

その人達も仕事だからやってくれているという考えもあります。でもそこを差し引いても本当に助かりました。入院したら想像以上にやらなければならないことがたくさんあるので、公的制度を調べている余裕などはありません。

また、父との接し方もリハビリの先生達の助言なしにはスムーズにいかなかったとおもいます。今の父の状態はどこまで回復していて、ここまでの事ができるから家族はこうしてくださいと言ったことを教えてくれます。

1人で悩まない

こういう時は1人で悩んではいけませんし、実体験としては「1人で悩まないようにサポートしてくれる制度ができあがっている」と感じました。

入院中は何度もいろんな方が声をかけてくれます。そしてこうした方がいいよああした方がいいよと助言してくれます。それはもう本当にしつこいくらいに声をかけてくれます。

父の看護や日々の雑事に追われる中で「それ以外のことまでやってられるか!退院後でいい!」と思うこともありました。でも、今になったらあの時に専門家の言うことを聞いておいてよかったと心から思います。

入院看護中はいろいろなことに忙殺されて余裕がなくなるとは思いますが、実は専門家が教えてくれることが一番重要です。日々の雑事を横においてでも全て専門家の話は聞いておき、出来ればメモを取っておいてください。

 

突然来る事態には家族間の約束事が大事

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僕ら日本人は過去の大きな災害で大事なことを学びました。それは家族間で緊急時にどうするかの約束事を決めておくことの必要性です。

突然の災害に見舞われた時、自分たちの家族はどこに避難するか話し合っていますか?

病気も突然です

同じことは今回のような病気の場合も同じです。

父は高齢で一人暮らしでした。本当は備えようと思えばもっといくらでも良い方法があったのかもしれません。それは今でも後悔しています。

唯一できていたことと言えば、父との「何かあったらとにかく電話してくれ」という約束事だけでした。しかし、それがなければ父は今生きていなかったのではないかと思います。実家で一人倒れた状態で発見されていた可能性が高いです。脳梗塞とはそういう病気です。

大切な人と最低限のコミュニケーションはとっておいてください。

僕も父とそんなに頻繁に連絡を取り合っていたわけではありません。ですが、電話のたびに「なんかあったら気を失う前に電話だけ鳴らすんだよ」と言っておきました。

 

コミュニケーション

入院から退院を振り返って思ったことはコミュニケーションは大切だということ。

それで父をギリギリ救うことができたし、わからないことはとにかく専門家を頼りました。

きっとこれからの自宅介護でも困ることは山のようにでてきます。今は病院の方たちとはたまのリハビリでした関わらなくなりました。その代わりにケアマネジャーの方が助けてくれています。

思ったことやしてほしいこと、困っていることを素直に言葉にすれば、少なくともこの日本ではなんとかなるようになっているみたいです。

もし自分や家族の入院や病気のせいで生活上困っている人がいたら、まずはその病院の相談員さんを探してみてください。声を挙げなければあなたが困っている事すら誰も気づいてくれません。頼ることもコミュニケーションの方法の一つです。

絶対に一人で悩まないでください。助けてくれる人は必ずいます。

 

最後になりましたが、助けてくれる制度とその制度を支えてくれている方(税金を納めてくれている一般の方も含めて)に心から感謝します。ありがとうございます。

 

 

 

思い出しながら全部詰め込んで書いてしまいました。なんだか書き忘れていることがたくさんあるような気がします。

この記事は思い出したらまた追記改変していくと思います。